お金があってもなくても強くやりたいと考えることはできるけどそのプロセスがちがうということ

間があいちゃった! aofのサイトをリニューしたときこのブログはなくす方向だったけど
こっちは仕事というより私が書きたいことを書いているものなので残っていてもいいじゃないと考えを変えた。

本日開催のチームムエットは、粉もの! お香の原料の香りをかぎます。
そのあと、三角コーンのお線香に仕立てる予定~



なんでもやってみたい、いってみたい、と思うことはやってきたほうだと思うけど、残念ながら自由にちゃちゃっと動かせるお金がいつもない。(そういう選択を私がしているからだと思う)だけど、お金があってもなくても結局はやりたいと思ったことはかなうもんだと最近は思っている。ただ、お金があったほうが数段楽にそこにリーチするというのは、生い先がだんだん短くなってきてわかるようになってきた。

さあ! いざ! ポーランドに! となった1996年の夏。

どうやっていく? って考えたとき、そりゃ~もう、いちばん安いチケットでしょ! ということで迷わず往復8万円、本当にポーランドまでいけるの? 的なチケット乗り換え3回みたいのを買った。(HISで)

最初はマレーシア航空でクアラルンプール。間9時間? 相当まって次の便、これもマレーシア航空だったかな。でチューリヒまで。そのあとまた何時間も空港で時間つぶして、そのあとポーランド航空でワルシャワまでいって、ワルシャワのあとブロツワフまで国内線、ってな具合。(この旅行はワルシャワ、ブロツワフをまわって、そのあとブロツワフからワルシャワに戻り、チューリヒへ飛び、バルセロナ、なんかしてあちこち旅をしてバルセロナ、バスでカルカッソンヌ、そのあと南仏で香りの研修をうけて、最終ペルピニャンからパリ、パリから東京に帰ってきた壮大なやつだったと思う。25,26のとき、人生の移動が一番大きかった気がする)でもなにもたよりにしないでこの文を書いていて記憶があいまい。一人で移動してたから、あのときどうだったっけ?と聞ける友もいない。

当時スマホもないし、時間つぶすのが本当に人間観察と読書くらいしかなくてあとはちいさい手帳にぎっしり今後やりたいこととか今考えていることとかを書きまくった。

こんなこと、お金のない20代だからできる。

ポーランドは何もかも珍しくてそして言葉の心配やらいろいろあることにはあったけど、なんとかなるものだった。わからなけれな聞けばいい。その人がわからなければ誰にきいたらいいか聞けばいい。

初めてポーランドにいってワルシャワ大学の前を通過したとき、朝鮮朝顔が忙しく咲いていていてでかい花だな、こんなところにも咲くんだと思った。

で、その近くを通過するときになんとなく、私来年もこの国にきてる気がすると思ったらその予感は的中し、翌年、今度は長めの滞在でくることになった。

ポーランドは私の人生を変えるほどのものはなかったけど(ポーランド人と結婚して移住するというような。私の友人は2人ほど、ポーランド人と結婚した。二人とも家族ができて日本で暮らしてる)でも確実にポーランドにいたときあれこれ考えたことは今の人生に何かしらの影響を与えている。と、思う。

なんて、今日から8月で今日はチームムエットの開催の日なのでこれからしたくをする前なんだけどそんなことを考えたので書いた日記でした。


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