終戦記念日が近いこともあって、今テレビでは戦争のときにどうだったか、というのを毎日放送している。
それで、当たり前のことなのに数字をみてはっと驚いた。
父は戦中、母は戦後まもなく生まれ。
他界した父は、子供のころ、戦争中に芋のはいったカサマシしたご飯を食べていたのでそれが好きではない、大人になったらもう食べなくなったってよくいっていた。(私は甘い芋ごはん大好きだったけど)
父も母も長崎は平戸の出身で、田舎だったので食べ物に困ることはあんまりなかったらしい。都会はいろいろ弱い。震災やコロナでつくづくそう思う。
私が年代の数字を見て驚いたのは。
(昨日、バチカンで、ユダヤ人を保護した医者がKという感染症を架空で作って、多くのユダヤ人をかくまったという話をやっていた)
私は自分が生まれるたった30年前に戦争をやっていて、戦後生まれで、戦争のことは知りません、(体験してないという意味で)なんていっていてもたかだか30年しかたっていなかったということ。
大学にはいって間もなく戦後50年とかやっていて、それでもピンときてなかったと思う。
自分が生まれるたった30年前!
今から30年前は高校生でした。
30年なんて月日がたつのはあっという間で、昨日のことみたいに感じるのに、自分が生まれる30年前、白が黒になり黒が白になるのが普通だった戦争というものがあったなんて!!!
たった30年!
ユダヤ人を近く感じたのは、ポーランドに行ってから。
ポーランドにいたのは26歳のときなのでなんとまあ21年も前の話! 大昔!(ちなみにAOFはポーランド時代に構想して作っていたので21年もやってるんだ)
アウシュビッツ(オシフィエンチム:Oświęcim)はポーランドにあるって、ポーランドにいってから知ったくらい、あほで何もわかってなかった。
(実際、現地訪れてショックをうけた。何もかもが生々しく残っていた)
↑こういうのが普通にゴロゴロとそのまま残っています。。。
それより、私がさらにショックだったのは、ポーランド語の授業で週末何をしていたかというのを毎回話するんだけど
「週末は私はオシフィエンチムへ行きました。ひどくショックをうけました」
といったら、ドイツ人のご夫婦で参加されていたかたに
「ドラチェゴ?(なぜ?)」
と聞かれたこと。それ、説明必要? と思って。
(こういうところも日本人・・・というか、自分の甘いところ。察してください、とか常識だよね?に頼ってしまう)
ユダヤ人っていうのは結局何人なのだろう、とか。
(ユダヤという国はない。信仰としてユダヤ教を信じる人がユダヤ人なのだ)ポーランドにはシナゴーグがたくさんあり、ユダヤ人もたくさんいた。
(まったくもって、わかりやすい様子をして町を歩いているからすぐわかる)
話がずれてきたけど、とにかく、その戦後30年(自分が生まれるまで)に日本はすごく変わった。高度成長して、人口が増えて、生活様式も食生活もかわった。
けど、基本的な人としての日本人は実はそんなに変わっていないのかもしれない。
今はなんだかぱ~っと遊びにいくことが悪で、家でじいっとしていることが善みたいになっている。
とくに東京。何か目に見えない、不安感に覆いつくされていて、さっぱり楽しいことがない夏休みです。
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