2017年6月29日木曜日

【日々のこと】苦難があったほうが記憶にのこっている

苦難の方向を選びたいと思う人は少ないと思う。
選ぼうと思わなくてもそっち側にふれてしまって、あとはもう引き返せないこともある。

ぱどという、情報新聞が定期的にポストにはいる。
私が好きなのは、シルクロードを旅したルポ。
モリテツのシルクロードをつっぱしれ!
というシリーズ。

今トルコまできた。

私は、大学生時代に友人と妹と三人でギリシャトルコを旅した。

行先なんてたいして理由はないけど、その前の年にタイにいったから
次の年はギリシャやトルコいってみたいよね~みたいな軽いのり。

内容と写真があまりにも関係なさすぎるけど
で、地球の迷い方 歩き方をもって、旅に出る。適当なので、宿も現地できめる感じ。

で、アリタリア航空を使っていった。ローマで一回おりて、友人と待ち合わせ、(友人は両親と一緒にシチリアにいって、そこから北上、ローマにいた)翌日イスタンブールに。

飛んでイスタンブール。いってみたら、ラマダンで、街がへんな感じ。

定期的に町中に流れるコーラン。みるからに胡散臭いやたら日本語がうまい絨毯売り。これに、お茶でものんでいけといわれると最後、断ってもマットの一つくらいかわないとなかなか逃げられない。

毎日どうやって食べ物調達してたんだろう? パンがやたらおいしかったのを記憶している。街角のパン屋さんにいって釜からでてきたほかほかのパンを三人でたべた。

安い長距離バス(そしてたいていバスは、フロントガラスにひびがはいっていたりする)にのって、レモンのような香りのコロンを車掌さんからうけとり(半ば強引に・・・いらねーって思っても、手にバッシャバッシャされる)着席する。どういう道のりでどこにいったのか。記録していた日記を最後ミラノで忘れてきてしまい、記憶にたよるしかない。

とにかく、エフェソスとかギョレメとかパムッカレのような観光地にはいったと思う。
お金もないし、地味なホテルにとまって地味なご飯をたべて(それでも私たちは毎回安いワインかってきたりしていて、ほかのバックパッカーからは贅沢だと指摘された)あれ?ワイントルコで買ってないか? 記憶あいまい・・・

何がいいたいかというと、このモリテツのシルクロードをつっぱしれ!を読んで、ぱっとトルコ・・・冬だったから厚い雲におおわれ言葉はほとんどわかんないし、コーラン聞こえてくるし、お札のゼロはやたらおおいし紙幣は全部アタチュルクだし・・・の国を思い出したのだ。

このあとギリシャに入るんだけど、電車の切符を買ってイスタンブールにいたら、トルコ人の親子がやってきて、私たち明らかに言葉通じないアジア人3人大学生女子たちに、「私の息子と一緒にギリシャにいってくれ」となんかしらんが、10代にみえるけど、小学生ではないし、ひとりでもいけるだろ? と思う男子を押し付けられた。お父さんは英語しゃべるけど、この男子はさっぱり何もしゃべらない。コンパートメントで、私たちはおしゃべりしまくっていたけど、たしか夜行のクシェットだったと思う。彼はどうしたんだろう?(ほとんど記憶にない)

明け方電車がぴたりととまり、私たちはアテネまでの切符を買っていたのに、途中のどこか小さい駅でおろされてしまう。洪水で電車がすすみません、とのこと。えー、こまるんだけど!(といいながら、別に予定があるわけではないから、えーっていってただけ)ドラクマ(当時のギリシャの通貨)をもっていなくて、おなかが空いても何もかえない私たちは、駅員のお弁当をガン見していた。
ギリシャ語を話す、ドイツ人の女性が駅員と交渉し、私たちは、明日アテネから飛行機がでると口裏あわすようにいわれて、私たちも困るんだ困るんだとなんかしらないけど、お願いに便乗し、一時間くらいしたら、ドーンとすごいバスが到着。これにのれといわれ、これまたどこに連れて行かれるのかよくわからんうちに出発進行。ドイツ人の女性がよかったよかったと私たちにウインクする。

あれ? あのトルコ人の男の子は? ちゃんとのっていました。
私たち3人、ギリシャ語を話すドイツ人女性とそのお連れさん、押し付けられたトルコ人の男の子。たった6人で、やたらでかいバスチャーターして、ついたから降りろといわれたのはテサロニキ。

これが何も問題なくするすると滞りない、ツアー旅行だったら、私はほとんど忘れちゃったと思う。なので、若いときにお金のない長期間の旅ができたのはいい思い出。お金すられたり、もの盗まれたりいろいろあったけど。




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