季節が違いますが・・・
むかしむかし、私の親は「誰にでも好かれるよい子になってほしい」と、七夕のお願いに書きました。私も、そうなれればよいと思ったし、軽く洗脳された感じがしました。
しかし、先生にも親にも反抗して、尾崎豊が好きで(私の世代はみんな好き。窓ガラスわって100円コーヒーで温まり、盗んだバイクで走り出したい10代だった)どうしても好きになれない人がいる。
仲間にいれてもらえずに一人で弁当たべたときもあった。
まったくもって親の願いと正反対。
だがしかし。よくよく考えると「誰にでも好かれるよい子」って何さ?」ということになる。
ちょっと考えただけでもおかしいでしょそれ。
十徳ナイフは、使えない。(使う人によっては使えるんだろうが、私はつかえない)
なんでもできる、だれにでも好かれるなんて、本当は何もできない、だれにも好かれないことなんじゃないかとすら、思える。
だから、私は自分の子には、「みんなと仲良くしろ」とはいわない。
だがしかし・・・
昨日「ママのことはちょっと好きだけど、ちょっときもい」というではないか。
何よ、ちょっときもいって。ショック。いつかくそばばーは言われるだろうと覚悟してたけど、こんなに早くに「きもい」といわれて立ち直れない。
で、きもいって何がきもいの?
ときいてもさっぱり要領得た説明はできない。(さすが3歳)
ここでおれてはいけない。
きもい、ってことば、こんなに攻撃力があって3歳児が大人を折ることができる言葉もないだろう。
相手が3歳だってわかっていても「きもい」っていわれたらへこむでしょ。
だから、意味が分かってないならなおさら使うべきではないし、保育園ではやっているからって簡単にいっちゃいけないことばなんだということをトウトウと・・・述べたけどわかってくれたかしら。
あなたが誰かにきもいっていわれたらどんな気持ちがする?
そしたら「イヤダ・・・」と。いわれたらいやなことを誰かにいっちゃいけないんだよ、と。
誰にも好かれる子にならなくていいけど、きもいっていって無駄に相手を傷つけないでください。
きもいっていったのがどうかママだけでありますように。
むかしむかし、私の親は「誰にでも好かれるよい子になってほしい」と、七夕のお願いに書きました。私も、そうなれればよいと思ったし、軽く洗脳された感じがしました。
しかし、先生にも親にも反抗して、尾崎豊が好きで(私の世代はみんな好き。窓ガラスわって100円コーヒーで温まり、盗んだバイクで走り出したい10代だった)どうしても好きになれない人がいる。
仲間にいれてもらえずに一人で弁当たべたときもあった。
まったくもって親の願いと正反対。
だがしかし。よくよく考えると「誰にでも好かれるよい子」って何さ?」ということになる。
ちょっと考えただけでもおかしいでしょそれ。
十徳ナイフは、使えない。(使う人によっては使えるんだろうが、私はつかえない)
なんでもできる、だれにでも好かれるなんて、本当は何もできない、だれにも好かれないことなんじゃないかとすら、思える。
だから、私は自分の子には、「みんなと仲良くしろ」とはいわない。
だがしかし・・・
昨日「ママのことはちょっと好きだけど、ちょっときもい」というではないか。
何よ、ちょっときもいって。ショック。いつかくそばばーは言われるだろうと覚悟してたけど、こんなに早くに「きもい」といわれて立ち直れない。
で、きもいって何がきもいの?
ときいてもさっぱり要領得た説明はできない。(さすが3歳)
ここでおれてはいけない。
きもい、ってことば、こんなに攻撃力があって3歳児が大人を折ることができる言葉もないだろう。
相手が3歳だってわかっていても「きもい」っていわれたらへこむでしょ。
だから、意味が分かってないならなおさら使うべきではないし、保育園ではやっているからって簡単にいっちゃいけないことばなんだということをトウトウと・・・述べたけどわかってくれたかしら。
あなたが誰かにきもいっていわれたらどんな気持ちがする?
そしたら「イヤダ・・・」と。いわれたらいやなことを誰かにいっちゃいけないんだよ、と。
誰にも好かれる子にならなくていいけど、きもいっていって無駄に相手を傷つけないでください。
きもいっていったのがどうかママだけでありますように。
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