40歳定年について考える


突然ですが。40歳定年だとすると、私、もう時間ありませんから!

でもずーーっと続くわけではない命、区切り区切りをつけて仕事についても生活についても考えてみるのは大事なことではないかと思った。


クレメンタインです。小さ目のかんきつ。

さて? 私はやりたいことができてるか? 10年前に考えていたプランはいまできているか? 理想にちょっとでも近くなったのか?

どれもこれもハテナ? と首をかしげてしまう。

どうしてもおつきあいする人たちが自分と同じ年の人になってしまうので、若者が一体どんなものなのか、もうわからない。(とおいよ・・・とおい・・・)ときどきあまりにも言葉が通じなくて、あれ?日本人だったかしら? なんて思うこともある。ああ、通じないのはあっちじゃなくて、こっちね。私が通じてないのねきっと。

とにかく、年とって、金もない、何もないってなると、友達も遠のき、若者には疎まれ、子どもも寄り付かず、友達がいれば旅行だ食事だってできるけどそれもお金がないとできない。私の母世代は人生楽しくやってるけどね。今旅行中。スペインだということ。

邱永漢さん(この前亡くなりましたね)の本を読んだからこんなこと考えるのですね。きっと。
お盆で仕事はヒマだし。本でもよむかーってことで、積読を壊して読書しました。




まあ、すごくバブルな時代の本で銀行の金利とかマル優とかいまとなっては死語がけっこうでてきますが。40歳で定年として一区切りつけてそのまま会社に居続けるか? やりたいと考えていたことをやるか? 最後のチャンスだぞ、みたいなことが書いてあります。

老人になったら金をだせ、ってこともね。書いています。それ以外で何がだせるんだ? って。やっぱり時代ギャップを感じないわけにはいかない。この本が書かれて30年でまったく世界は変わってしまった。自動車産業、家電産業は斜陽化し、お金の価値についても・・・インフレがずっと続くと思われていたこの時代に反して、デフレ。私が大学のとき、海外旅行いけば、なんでも安く感じたけど、いまは日本がいちばん安い。タイでTシャツかおうとしたら、あれ? 日本で買ったほうが安いなと思ったり。
当時(私が大学生のとき)旅行にいったらどこいっても・・・ハトと日本人とドイツ人がいるって揶揄されたけど、いまは中国人とロシア人と・・・ハトがいるのではないでしょうか。

(はとすげー)

取り留めもないへんちくりんな投稿になりました。
まだ残暑厳しいですが、みなさま体だけは大切に。ご自愛ください。体が資本です。これは時代が変わろうがインフレだろうがデフレだろうが誰が何といおうが変わらない普遍なものです。

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